亜鉛欠乏症とは(一般向け)

住民の健康を守る為に

信濃の地域医療

発行所

社団法人

長野県国保地域医療推進協議会

長野県国民健康保険団体連合会

 

011

微量元素亜鉛欠乏症との出会い

2002年09月。ここ北御牧村温泉診療所(旧)に赴任して約2年。患者さんも慣れたのか?診療の後に色んな無駄話をして行く様になった。「先生。歳とりゃ、食事も不味くて、生きていてもつまらね。」とか「先生。最近、食欲がさっぱり無いでね。」とか何となく愚痴る患者さんが意外に多いのである。さりとて、調べても何処という問題もない人ばかり。「運動しなきゃ-。ね。」とお茶を濁したが、飽食時代で贅沢になっているのか?。念のた
め、併設の『ケアポートみまき』の入所者にも聞いてみた。

「リンゴの味が分からない。」とか「ここの食事は不味い。」と言う人が何人もいる。私も時々昼食に摂っているのだが、高級レストランの味とはいかないまでも、結構まともな食事なのだが、、、と気になっていた。

拒食の原因は亜鉛不足であった!!

 

丁度そんな時。NIさん(73)が入所してきた。精神発達遅滞で某施設に入所していたが、01年11月に仙骨部に褥創発症。02年01月から8月中旬まで、某総合病院に入院し、褥創の形成外科的治療等を受けた。その間に諸感染、全身状態の悪化等々もあり、食欲不振が強く、輸液や経管栄養等々内科的全身管理を受けたと言う。褥創は軽快したが、経口摂取不能の寝たきり状態となり、胃瘻造設され、『ケアポートみまき』に入所してきた。
入所時、意識はあって非常に怒りっぽいが、ADL全介助、寝返りも打てない。嚥下困難?拒食?にて、胃瘻よりクリニミールと水、食塩の投与がされていて、食事介助にも頑として口を開かず。褥創は細いが深く、第三度。頻繁な体位交換、オムツの交換等の積極的な局所療法にても全く改善を見せなかった。何故嚥下困難なのか?何故拒食なのか?兎に角、話が全く通じないので処置なしである。フッと気付いて、もしかして、亜鉛欠乏で不味くて食べないのではないか!! 血清亜鉛値を測定して驚いた。

42μg/dl。9/18よりプロマックの投与を開始した。先ず、難治であった褥創が何となく締まってきて、アッと言う間に治癒。食事の介助は職員が色々苦労はしたが、次第に口を開けるようになり、11月中旬には刻み食をどんどん食べ、12月初旬には普通食を全量食べ、03年1/20、胃瘻は不要となり抜去した。 意識状態も精神状態もすっかり改善、介護にあたった職員もビックリする程の変わり様である。

NIさんの場合、食欲不振に対する輸液、経管栄養剤のクリニミールには亜鉛の添加が無く、諸治療が悪循環しての医原的亜鉛欠乏症であった。

褥瘡、食欲不振、元気さにも!!

 

TOさんの場合 99年08月頃(86歳)より、急に食欲が無くなったとか、惚けが進行し、ADLが低下したとか、口内炎で全く食べないとか、と診療所を受診。時々、エンシュア.リキッド等の投与を受けていた。02年02月、左下肢外顆部に褥創発症。長男夫婦は大変によく介護してきたが、褥創は一進一退。5月には悪化し、局所の軟膏療法では全く軽快せず。気力の衰えも進行。8月には更に左臀部、左大転子部にも発症。9月には大転子部は大きな褥創になる。9/2、亜鉛 56。ディサービスの利用も困難になり、患者は殆ど動かず。家族の介護に訪問看護も参加、手厚く介護するも、9月末、褥創は更に悪化増大し、脂肪層に深くトンネルとなる。食事には顔を横に向けて、口を開かない。年齢 90歳。

これまでの経過を踏まえて、そろそろ寿命か?と往診で告げる。ただ、丁度NIさんのこともあるので、念のため、プロマックを処方す(9/30)。

10/07、褥創は欲目か?可成り炎症が収まり、締まってきた感じ。10/16、見るのさえ嫌がっていた食事に、粥を茶飲み茶碗に1/2杯、エンシュアを一~二本飲む様になった。地豆、お餅、煎餅を食す??。
10/21、『味が出てきて、食べれる様になった』と言う。褥創も縮小して、肉芽が盛り上がってきた。

10/28、『味が出て、美味しい』と言う。『先生や皆さんのお陰だ』。

11/11、褥創は細い1㎝程の瘻孔を残して、ほぼ治癒!!。亜鉛 73μg/dl。

11/18、リンゴや柿の味が判るようになる。

021

03年03月、褥創全く治癒。食事何でも食べ、本人から食べ物を要求し、普通食となった。ADL、介助で起立可、車いす全介助、ポ-タブル・トイレ半介助で可。

褥創の治癒、食欲の回復、全体的な元気さの回復に家族も驚いたが、治療している私自身が信じられない程である。現在、91歳なりの惚けはあるが、意志はハッキリと主張し、元気でデイサービスに通っている。今は約一年前の寿命宣言を恥じている。ただ、亜鉛を投与しただけなのに!!

もしかして、舌痛も?

 

TAさん 95年の当診療所開設以来、時々、頭痛、腰痛で通院の患者。99年1月、食欲不振が始まる。食欲があったりなかったり。下痢や腹部不快感あったりで、入院精査を受けるも特別の所見はなく、次第に諸薬が増加、多剤服用となる。不定愁訴多く”うつ”として、前所長より引継ぐ。00年05月初旬頃より、義歯の治療後から口が苦い、舌の違和感、痛みなど生じて、歯科受診。肉眼的に所見なし。01年12月、食欲不安定、下痢傾向も強くなり、再入院精査するも異常なし。舌の先が『辛いというか痛いというか』と訴え、舌をベロベロと動かしている。この愁訴、往診診察の度訴えるが、何とも対応できず。成書を調べても、漢方薬、鬱病薬、局所ステロイド軟膏、うがい等々記載してあるが、試してみても、結局、何の効果もなし。

02年10月29日。亜鉛欠乏で味覚障害が生ずるなら、もしかして舌痛も?と検査。亜鉛 55。11/12、プロマック投与。11/26、舌痛、最近、無くなったと言う。ええっ!!。03年5月、昔、舌痛があったことすっかり忘れている。食事は少なく、美味しくないと言うが、兎に角、元気で、ご機嫌も良好。他人から見れば、よく食べていると言う。不定愁訴もなくなり、あれ程の多剤服用が、カマと亜鉛のみとなった。亜鉛 91。

味覚障害は勿論、口内炎?症状にも!!

 

NAさん 03年03月。のどの感じがおかしいと耳鼻科受診。耳鼻科の問題でないと総合病院に紹介される。胃内視鏡、大腸内視鏡、肺の検査,CT,MRI他、色々の検査を受け、異常所見発見されず。何故か?半年に渡り、タケプロン、ガスモチン等投与され、通院続けるも、何の効果も無し。03年09月、当診療所受診。体重38㎏。血液生化学には多少の変化あり。『のどが荒れた感じ』『口内がザラついて』『食べたものが上がってきて、食物が入っていかない』『味がない』『ゴムを噛んでいる感じ』等々訴える。亜鉛 59。味覚検査異常有り。

09/16、プロマック投与開始。

09/22、口の荒れ可なり治まり、食べ物上がってこなくなった。

09/29、昔の1/2程食べられるようになった。

04年01月、味覚検査可なり改善。キムチ食べられ、ウナギ美味しい。亜鉛 70。体重42。

031

亜鉛欠乏症は重大な問題!!

 

1961年、プラサドが鉄欠乏性貧血、肝腫大、性的発育不全、小人症、土喰いの症状群のイラン人達の症例を発表し、微量元素亜鉛欠乏の可能性もある、と示唆した論文を発表。 その後、臨床的知見が積み重ねられ、ヒトの亜鉛欠乏症の症状はおよそ(表-1)の様に纏められよう。しかし、多くの医師にとって、“亜鉛欠乏は味覚障害を生ずる”と言う医学的一般常識を持ち合わせていても、正直言って、生体内に2~3グラムしか含まれない(表-2)微量元素亜鉛の欠乏症は、ヒトには余程特殊な状態でしか生じないものと考えられてきた。

041

例えば、吸収異常を生ずる遺伝的疾患や特殊な疾患、アウシュビッツのような特殊な状況や未開地の飢餓状態、特殊な栄養状態や極端なダイエットの場合が考えられてきた。そして、完全静注栄養法による医原的欠乏症が発見され、欠乏症状も医師の注意を引き(表-3)、ダイエットによる味覚障害等も注目されてはいる。

051

しかし、症例で示したような、何処にでも居そうな、ありふれた症状を訴える普通の患者が亜鉛欠乏症であり、投薬により比較的簡単に改善する!!とは、多くの医師は考えていなかった。我々が実際に経験した欠乏症の症状は(表-4)の如くである。その経験、知見を少し具体的に述べよう。味覚障害、味覚異常を訴える患者は多い。しかし、食欲減退、食欲不振や拒食とは症状の発症機序が違うらしい。食欲は薬剤投与で、1~2週ですぐ回復してくる傾向がある。

味覚の回復はより時間を要する傾向にあり、中には難治で、なかなか回復しないものもある。食事は生きる上で最も大切なことの一つ、味覚障害は初期には自覚しにくい症状であり、気を付けねばならないが、成書に譲ろう。兎に角、亜鉛不足による食欲不振では投薬による食欲の回復は劇的でる。

麻痺や器質的異常がない食欲不振では、安易に胃瘻造成する前に亜鉛をチェックすべきである。味覚障害との関連は未知であるが、舌痛始め口腔咽頭の種々な異常感覚を訴える患者さんも多い。特に、訴えに見合う肉眼的所見がなければ、先ず亜鉛欠乏を疑って亜鉛のチェックをすべきであり、欠乏症であれば2週から1ヶ月で効果が現れる。褥創の発症にも亜鉛が大きく関わっており、その治癒に劇的効果がある。褥創の発症には全身的要因と局所的要因がある。我々の経験では、余程の放置例でなければ、一般には【亜鉛を補充するだけで】1~2週間で創面が『何となく締まってくる感じ』となり、1~2ヶ月で乾燥治癒する。皮下に深く壊死が生じた例でも3ヶ月前後で治癒する。以後、亜鉛欠乏に注意すれば滅多に再発はないと言ってよい。勿論、局所的要因は大切であるが、余程劣悪な介護、処置でなければよい。イソジンシュガ-と適当な体位交換、清潔の保持で充分である。高価な軟膏や手術は滅多に必要ないと思う。

061

元気度とは、大変定義と測定し難い指標であるが、ある種のボケ、うつ、意欲の低下に亜鉛欠乏が関係しており、お年寄りの介護、医療には大切なことと強調しておきたい。

何故に、こんなに多彩な症状が生ずるのか?亜鉛の働きは(表-5)の如くである。

071

酵素では、亜鉛原子一個が入るだけでその活性は数千倍になるとも言われている。とすれば、まだまだ、未知の症状のある可能性もあるが、専門的になるので省略する。

2003年。村の予算で、北御牧村村民を対象に血清亜鉛濃度の実態調査が出来た。我々の予想した如く、今までの常識的な値より、集団として、亜鉛値が低い傾向が認められた。潜在的亜鉛欠乏者、亜鉛欠乏症予備群が多数存在する可能性がある。

何が問題なのか??

 


081

原因不明で、苦しんだ時代もあった。

 

昔、物心ついた頃、母方の祖母が湿疹か?かゆいかゆいと体中に痒さを訴え、あちらの温泉が良い、こちらの温泉がいいと湯治に出掛け、また、あの薬が良いこの薬がいいと塗っていたが、一向に治らず、子ども心にも治らぬ病気があるもの、気の毒な人も居るものだなーと思っていた。

敗戦後の食糧難の時代。何人かの級友がしばしば口角に亀裂ができて、割れて痛くて、いつも舐めて、それが悪いのか?なかなか治らない。どうしてなのかと思っていた。医者になって、昔程は見かけなくなったが、時々そんな患者さんに出会い。

口角炎とか、ビタミン不足とか言われているが、薬の効果は余りなく、心に残っていた病気であった。

北御牧村温泉診療所に赴任して、身体のあちこちに水疱が、何年にもわたり出没する類天疱瘡らしい患者さんに医学書に書かれている通り、局所療法、全身療法にて治療してみたが繰り返すばかり。経験豊富な専門医にと投げ出してしまい、心に引っかかっていた病気があった。気を付けて考えてみると、日頃患者さんが自然に治ったのか?諦めて来なくなったのか?治したという実感のない病気や症状はかなりある。

亜鉛欠乏症患者は、予想以上に増えている。

 

2002年秋。フトしたことから、『多くの医師が考えているよりも、遥かに多くの亜鉛欠乏症患者がいる。』ことに気が付いた。2004年の本小冊子『信濃の地域医療』-VOL36.349-に、味覚障害は当然のことだが、実は、多くの人が感じている軽い?
食欲不振から拒食にも至る酷い食欲不振、褥創の発症、口内炎はじめ口腔咽頭症状や舌痛、元気さ等など実に多彩な病気、症状が亜鉛欠乏で生ずることを書いた。

その後、今日までの約三年間で、亜鉛欠乏症と考えられる患者さんは約170名を超えた。最近では、長野県下や他県からも来る患者さんが少しは居るとは言え、人口約5500名の旧北御牧村を主な診療圏とする我々の小さな診療所では、これまでの医師の常識からすればこの数は異常に多いと言える。しかし、私達の臨床経験や調査からすれば氷山の一角でないかとも考えている。

前回書いて以後に、判ってきたこと、2003年に旧北御牧村の全面的支援のもとに村民1431名の血清亜鉛濃度調査をした結果を含めて、お知らせしよう。

亜鉛不足を、国民的問題ととらえて。

 

私達は2003年の調査結果や日頃の知見を「これは国民の健康や日々の生活に、大きく影響する重大な問題だ」と考え、諸学会や講演会、この小冊子等などあらゆる機会を捕らえて、報告、発表してきた。又、私は2005年南山堂から発刊の『治療別冊』 Vol.87-亜鉛の有用性を探る-の分担執筆で、“高齢者と亜鉛”について書かせてもらった。そんな文献を何部か、私の尊敬する、学問に大変厳しい元信州
大学医学部老年内科教授の山田隆司先生にお贈りしたら、

『倉澤君。よくやった。なかなかいいことに気が付いた。是非、英語の論文にして、世界に知らせ給え。だが、亜鉛の作用から多彩な症状を示すこと、私はよく解るが、今の多くの医学誌の編者は、あれも治る、これも治るなどと書けば、眉唾ものとして、採択してくれないだろうから、主な症状に絞って論文を書いたほうがいいと思う。』

とアドバイスして下さった。
確かに、現代の医学医療は各専門科に細分化され、残念なことだが、人間全体を丸ごと診ることに興味を示す医師はあまり居ないのが現実で、更に、たった一種類の亜鉛元素の欠乏がそんなに多彩な症状を示す等々、眉唾ですぐには信じられないのも無理はない。

1961年プラサドがヒトの亜鉛欠乏症を示唆する論文を発表して以来、教科書的には多彩な症状を示すことが書かれているが、現在ハッキリ言って、日本の医師の99.99%はどの様な多彩な臨床症状を示すか具体的に知らないと言っても、過言ではない。また現在は、我々はじめ数少ない医師達が関心を持ちはじめ、次々と新しい知見が出て来つつある時なので、判ってきたことも多いが、まだ、不確実なことも、
十分予測されることや全く判らないことも多い。そこで、この小冊子は学術書ではないので、多少は“みの もんた”的に大胆な推論も交えて、一般の方に判るように、これまでに我々が経験した症状や可能性のある症状と国民に予測される亜鉛不足の現状と医学界や医療界、国の認識の現状をお知らせしよう。

私達が考えていることが、事実としたら、とても重大なことで、とても怖いことと言って過言でない。

亜鉛欠乏症とは、前回の復習として

 

教科書的には(表-1)の様に実に多彩な欠乏症状が記載されている。

091

発育遅延や性的発達遅延等は一般診療所としての性格上我々は経験することがないと思うが、前回、以上のような症状については具体的に書いた。(表-2)

101

食欲不振については、食べないからと言って簡単に胃瘻を造設せず、亜鉛欠乏を考慮すべき、と警告を発し、褥創については発症、治癒遅延の主因は亜鉛欠乏で殆どの褥創は亜鉛補充療法で治癒すると述べた。私は国保の診療報酬審査委員会専門部会委員をしている関係上、診断治療に難渋したレセプトを見る機会が多いが、最近こんなケースがあった。

中年の男性だったと記憶する。ある時、食欲不振となって某大病院を受診。一般の血液検査は当然のこと上部、下部消化管の内視鏡、CTやMRI等々の画像検査から考えられる多くの検査をしたが、異常は見つけられず。
輸液や高カロリー輸液でサポートしたが、益々食欲不振は進み、遂に胃瘻を造設された。更に、寝たきりとなり、下痢が続いたり、褥創が多発、皮膚はガサガサになり、掻痒が激しかった様である。原因不明の疾患とのことで、大学病院に紹介され、更に、いろいろ調べたが、特別の疾病は見つからず。誤飲か?肺炎等など感染症を併発して、多種の抗生物質の投与、蛋白製剤で蛋白の補充?やビタミンの投与等何がなにやら解らない内に高額医療となり、死亡した。亜鉛だけが調べられていなかった。典型的な亜鉛欠乏症と考えられる。キット、プロマックの投与のみで、今も元気で生きておられたであろう、と思う。

最初の食欲不振だが、普通の成人に何で亜鉛欠乏が生ずるのか?怖いことであるが、入院して誤った輸液により、更に、医原の亜鉛欠乏が進行し、食欲不振が増悪して胃瘻となって、ますます悪循環に陥ったケースと考えられる。それにしても、レセプトで見ていると大学病院や多くの病院の入院患者さんに余りにも褥創が多い。食事、栄養ということが、多くの臨床医の頭にないのか?と思う。我々のPRの努力が
まだまだ全く不足していること、残念に思う。

111

何故、こんなに多彩な症状を呈するのかは、もう一度(表-3)「亜鉛の体内での働き」の表を載せておこう。やや専門的で難しいが、特に、亜鉛原子一個が諸酵素の活性ポイントに入るだけで酵素活性が数千倍も高まると言う。その他、興味のある方は、調べられれば納得されるかと思う。

前回より判ってきた、亜鉛欠乏症の知見。

 

さて、前回の冊子時より知見の増えたのは下痢、臭覚障害、創傷遅延?そして多彩な皮膚症状である。亜鉛欠乏の皮膚症状は腸性肢端皮膚炎が典型例として教科書に載っているが、広範な掻痒を伴う角化傾向の強い皮疹、慢性湿疹様の皮膚が厚ぼったくなる皮疹、剥皮や皮下出血し易い高齢者の脆弱な皮膚、非細菌
性水疱や膿疱性の皮疹、口唇炎や口角炎等の症状は多くは亜鉛欠乏が主因の様に思われる。一年余にわたって続いて、ボリボリと掻き壊していた皮膚が亜鉛の補充によって、1~2週で痒みが無くなり綺麗な皮膚になったり、お年寄りのペロリと剥皮する様な弱い皮膚が綺麗になったりは日常しばしば経験する。5~6年間にわたり、次々と手掌の水疱、膿疱の発生と剥皮を繰り返していた掌蹠膿疱症がプロマック投与により1ヶ月で正常化して、3ヶ月の継続投与後は、全く再発しなくなった症例を経験している。この疾患は女優の奈美悦子さんが自験を公表し、ビタミンの一種ビオチンの欠乏症と報道されて、ご存じの方多いかと思うが、亜鉛も含めての欠乏症、栄養障害の可能性大と推察している。類天疱瘡様の水疱とびらんは高齢者の皮膚でしばしば経験し、単独のことも褥創に合併することもある。これも亜鉛補充療法で簡単に治癒する。この疾患は自己免疫として、学問的には結論されているが、その発症機序への亜鉛の関係を是非、皮膚科医に検討をお願いしたいと思う。

旧北御牧村での血清亜鉛濃度調査を見てみる。

 

話はもとに戻るが、2002年暮れ。食欲不振や褥創患者さんが次々と亜鉛の補充療法のみで治癒し、元気になってゆき、『多くの医師が考えているより、遥かに多くの亜鉛欠乏症患者さんがいる。』らしいこと、村民の亜鉛欠乏状態を調査する必要性があることを診療所で述べていたら、村では驚くことに、2003年度に村民の血清亜鉛濃度調査費200万円を予算に組んでくれた。

旧北御牧村の全面的支援のもとに、村民1431名の血清亜鉛濃度調査を学校検診やヘルススクリーニング等に合わせて行った。

image

(図-1)は縦軸に血清亜鉛値、横軸に年齢、午前採血例黒丸、午後採血例白丸。

太実線は午前群の、細実線は午後群の回帰曲線(凡その平均値を列ねたもの)を示している。小中学生は皆午前中に採血したので黒丸、高校生の層は調べることが出来ず。又、若人層が高齢者層に比較して、どうしても、受検者の比率が低い傾向にある。さて、一見して、午後の群が低値に分布している。また、血清亜鉛値は年齢と共に次第に低値に分布していることが判る。

122

(図-2)は血清亜鉛値の実態を比較するため、午後の低値群を除いた分布図と回帰曲線に、これまで日本の健康成人の基準値とされている上限値110μg/dlを太線で、下限値65μg/dlを細線で示したものである(平均値は87.5μg/dl)。

小中学生の群ではおよそこの基準値の範囲内に分布し、成人は全体的に、基準値の低値にずれて分布し、若人層にも散見されるが、加齢と共に基準値の下限値(細線)以下の分布が徐々に増加する傾向が認められる。一般成人(20歳~69歳)の平均値は78.9と基準値の平均値より約10低値である。この基準値は約25年前に米国で国家が一般市民14700名程の血清亜鉛濃度を調べたデータともおよそ一致しており、それ等と比較して見ると、村民が亜鉛不足の傾向にあることが考えられる。この結果は、亜鉛欠乏症患者の発見の傾向とも一致するものであるが、当地にのみの特有なもの(風土病的なもの)であろうか?いや、この3年間に我々が得た各地からの情報では全国的に同様の傾向がある様に思われる。この基準値も20年余前に決められたものであり、この20数年間で何か重大なことが生じた可能性がある。

亜鉛不足の背景-今、何が起こっているのか?

 

今年、我々は(株)ファンケルの協力のもと、合併した東御市で旧東部町の一般住民の調査をしている。又、国保連合会中央会からの資金を得て、長野県下各地の10国保診療所の共同研究で、受診患者計、約1000名の血清亜鉛値の調査をしている。この三つの調査がもしも、もしも、同じ傾向を示したとすれば、まことに重大なことと考えざるをえないと言えよう。日本の国民が全体として亜鉛不足に陥っている
可能性がある。そして、国はまだその重大性に気が付いていない!!我々の推論が間違いで有れば幸いと思う。

何が今起こりつつあるのか!!食物が問題か?畜産、農業が問題か?それとも??